角兵衛獅子
新潟市指定無形民俗文化財
180年以上続く伝統芸能
水戸から移り住んだ角兵衛はあるとき何者かに殺され、角兵衛を殺した犯人が角兵衛に足の指を噛み切られていたことから、残された二人の息子は、大衆の中で逆立ちすることを思いつき、「あんよ(足)を上にして、あんよの指のないものを気をつけて見れ」と歌い囃して、犯人をたずねて諸国を巡り歩いた。又、信濃川沿いのこの地は昔、沼地であり、年々周期的に襲う川の氾濫は、村民を飢餓の苦しみに追い込んでいた。これを憂えた角兵衛が獅子舞を創案し、農業のかたわらこれを村民に教えこみ諸国を巡業したと、「言い伝え」としてこの地域に伝わっている。

全国で広く知られた存在

角兵衛獅子の呼称については、各地により異称がある。このことは江戸時代の書物に「越後獅子を江戸には角兵衛獅子といふ越後にては蒲原郡より出るによりてかんばら獅子といふぞ角兵衛獅子は恐らく蒲原獅子の誤りならむ」とあることによっても明らかなところである。川柳「加賀さまの前かくべゑも太鼓やめ」や、文政11年(1828)江戸中村座初演常盤津・長唄「角兵衛」での「かくべかくべと招かれてゐながら見する石橋の・・・」や「いうてもおくれな月潟の・・・」の文句にみられるように、「角兵衛獅子」や「角兵衛」の名称は江戸より起こったとするのが一般であり、月潟の名が江戸でも広く知られていたことが分かる。
地域異称
上方越後獅子
江戸角兵衛獅子
越後・信州蒲原獅子
蒲原月潟獅子
月潟月潟獅子の児
獅子の児
獅子どり
べエか・べエか衆
関本賢太郎「角兵衛獅子の呼称」より

義経も認めた「幸運の使者」

江戸時代、義経の山越えを舞行事奉納によって叶えたことから、悪魔払いの霊験が認められ、卓越した芸能で、京都や江戸では年の初めの慶祝に欠かすことのできない行事となった。また旅先でこの角兵衛獅子一行に行き逢うことが、旅での幸多きことを占うまで世の人から珍重されるようになった。

日本全国を門付けをしながら巡業し、毎年6月24日~25日の角兵衛地蔵尊の祭りを目途に、村へ帰って来ていた。帰郷に際しては、村人たちに配慮して、夜明けか夜遅くに村へ入って来るのが通例であったという。そして安全祈願をしたのちに、また巡業へと旅立った。

現在の角兵衛獅子

明治に入り、幼童の旅稼ぎは文明開花の社会の目から虐げられた子としてみられるようになり、義務教育制度の実施もまた、その存続を許さなかった。昭和11年に角兵衛獅子保存会を結成。月潟に多くあった料亭の芸妓によってその舞が伝承された後、昭和34年に子供達による舞として復活した。かつての練習のような厳しさはないが、幼少から毎週練習しようやく舞台に立てるという努力の積み重ねによって、芸が受け継がれている。昨今は保存会の角兵衛獅子への想いと研究により、お囃子も生演奏として復活した。

現在ではお祭りで実演される子どもたちの角兵衛獅子に町中の想いと研究により、人が訪れる。様々な時代の憂き目に合い、歴史をはらんでいるか説・詩歌・落語など、角兵衛獅子は様々な作品に登場いる。

舞の種類

全国を旅していたが故の各地の風景をモチーフにした舞が数々あり、なかなか旅の出来ない時代にはとても喜ばれていた。
■舞い込み
■金の鯱鉾
■かにの横ばい
■乱菊
■青海波
■水車(小)
■俵転し
■水車(大)
■人馬
■唐子人形お馬乗り

様々な作品に

映画・歌謡曲・小説・詩歌・落語など、角兵衛獅子は様々な作品に登場している。
代表的な『越後獅子の唄』(1950年)は美空ひばりが越後獅子の少年を演じて主演した松竹映画『とんぼ返り道中』(1951年)の挿入歌としてヒットし、映画と歌が好評であったことから、再び彼女が越後獅子の少年を演じる映画『鞍馬天狗・角兵衛獅子』と挿入歌『角兵衛獅子の唄』(西條八十作詞、万城目正作曲)が1951年に発表された。
新潟市南区にある角兵衛獅子資料館には、『初笑いとんぼ帰り道中』のロウ人形が展示されている。

月潟郷土物産資料室

住所〒950-1303
新潟県新潟市南区西萱場1069農村環境改善センター内
TEL025-375-5500
営業時間午前9時から午後10時(無料)
休館日毎月第3木曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日から翌年1月3日)
展示内容角兵衛獅子
越後月潟手打鎌