日本に初めてル レクチエを導入し、栽培に成功した人物、それが新潟県中蒲原郡茨曾根村(現在の新潟市南区)の小池左右吉氏です。茨曾根村はもともと日本有数の古いナシの産地で、1867(慶応3)年生まれの左右吉氏は、ぶどうリンゴ、モモといった果物の生産者であると同時に果樹の熱心な研究者であり、果物を販売する商人でもありました。早くから果物の海外直接販売の必要性を感じていた左右吉氏は、ロシアのウラジオストクに足を運んだ際、現地で食べたルレクチエのおいしさに驚きを覚えます。その後、左右吉氏が数十種類の西洋ナシの苗木を輸入・試験栽培を行う中で1903(明治36)年に原産地フランスから苗木を直輸入したことから、日本のル レクチエの歴史が幕をあけました。明治40年には、当初の目的通り左右吉氏はウラジオストクに輸出を行っています。

 

 

 

 

 

 

左右吉氏は1955(昭和30)年に88歳で亡くなりましたが、彼が新潟でル レクチエの栽培を始めて1世紀を経た今、マイナーだったその存在は、後進の者たちが研究を重ね、栽培方法や追熟技術を確立していったことで、現在新潟を代表する果実の一つにまで成長しました。

以上、当時のエピソードを色々教えてくださったのが、左右吉氏の孫にあたる美與志さん。「おじいさんはとても厳しく、情熱家で、孫のわたしはよく可愛がってもらいました。おじいさんの始めたル レクチエが、世界中のひとから『おいしい』と言ってもらえることが本当にうれしい」と話す美與志さん。左右吉氏の思いを伝えていくのもやル レクチエ初の生産一家としての役割だと、左右吉氏が植えたル レクチエの古木を今も大事にしています。美與志さんの想いはさらに孫のゆかりさんに受け継がれています。

 

 

 

 

 


 

文:丸山智子 写真:Sunday Photo Studio