■市山流 越後獅子について
文化8年(1811)江戸中村座三代目中村歌右衛門が踊った「遅桜手爾葉七字(おそざくいらてにはのななもじ)」の七変化のひとつで、先に市村座七変化を踊ったライバルの三代目 坂東三津五郎に負けじと一夜で曲と振りを作ったといわれ、その振付が市山流初代市山七十郎でした。月潟村の角兵衛獅子を舞踊化したもので、市山流では後半に一本歯で長い晒を振ります。
市山流七代目 市山七十郎さん
■市山流について
文化(十九世紀初頭)頃、江戸中村座の振り付け師として「松風」「忠信」「越後獅子」などを作った市山七十郎に始まる日本舞踊の一流派です。3代目市山七十郎(なそろう)が新潟に本拠をおき、4代目以降、女性舞踊家によって継承されています。古町芸妓の指導や舞踊会の企画構成など、新潟の舞踊界や花柳界の発展に尽力してきました。地方に宗家(そうけ)があり、その地で120年以上の歴史を刻んできた流派は全国でも唯一で、その芸術性は高く評価されています。新潟市指定文化財の第1号。
■衣装
角兵衛獅子の古い写真と越後獅子と同じ形に見えるのは江戸の町を廻っていた獅子の子どもたちの格好から取っていると思います。現在の角兵衛獅子は鮮やかな色の着物で、前かけの部分に「卍」をいただいていますが、市山流の踊りでは、頭に獅子をつけ、体の前に太鼓をつけるために浅黃(ブルー)色の無地の着物に赤無地の前かけで「卍」などはつけません。ただ、昔江戸の町々には獅子の子どもたちを束ねる親方は何人かがいたため、どのグループか分かる様、「卍」など目印を変えていた可能性はあります。
平成30年2月17日 市山会 舞踊公演より
■舞台大道具
うしろには江戸の情景である日本橋や町家をかざりその前で芸を披露することで、越後から江戸へ働きに出てきてがんばっている様子を見せる役割を果たしています。